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都市の記憶とAIによる最適化の狭間で。SF作家・冲方丁がまなざす未来【中編】

SF小説をはじめ、歴史小説、ファンタジー小説、ホラー小説、そして映画の脚本と、幅広いジャンルで執筆活動を展開する作家・冲方丁。歴史や都市、テクノロジーに関する深い知識に裏打ちされた精緻な世界は、多くのファンを魅了してきた。冲方丁がみるPLATEAUの可能性と、都市の未来とは。前編・中編・後編の計三本でお届けするロングインタビュー。

写真:
森 祐一朗
文・編集:
岡田 麻沙
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  • 冲方 丁
    冲方 丁
    作家
  • 内山 裕弥
    内山 裕弥
    国土交通省 総合政策局/都市局IT戦略企画調整官
  • 齋藤 精一
    齋藤 精一
    株式会社アブストラクトエンジン代表取締役 パノラマティクス主宰

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幸福とは自分が選択肢を持っていると実感できるかどうか

ーー「PSYCHO-PASS サイコパス」で描かれるシビュラシステムのある世界に、現実がどんどん近づいていっている状況といえます。「劇場版 PSYCHO-PASS サイコパスPROVIDENCE」では、シビュラシステムによる統治と、法による治世とのコンフリクトが提示されていて、近い未来の予言のようでした。PLATEAUの登場により、「デジタルツイン」的な世界観もまた現実のものとなりつつあります。こうした状況下でのデジタルデータや空間と政策との関係について、あるいは人間の幸福について、どんな風に考えていますか。

冲方 人間の幸福って、「自分が選択肢を持っている」と実感できるかどうかなんですよね。人間は自分の人生において「選択肢がない」と思うことを最も苦痛と感じます。牢獄とかもそうです。起きる時間、寝る時間、食べるもの、いる場所など、行動のすべてに自由がないわけです。これが最も罰になる、つまり不幸を感じさせるものなんですね。

AIの新しくて危険なところは、人間が選択する前に最適解を教えてしまうことです。そうすると人間は、「最適解ならばそれを選ぼう」と自らが選択をしているように錯覚しますが、実際には選択肢はすべて奪われている状態なんです。こうした最適化がどこまで過剰になっていくか、いまはまだそれほど人がおかしくなるような状態ではないけれど、「PSYCHO-PASS サイコパス」で描かれているのはそういうことです。

人間がなにかを選択した結果、法に触れるか触れないかというグレーゾーンが発生する。法の大前提として、人間には選択する力があるという考えがあります。罪を犯した人が罪を軽くするために「選択する力がない人間です」と主張するじゃないですか。精神的な疾患があったとか、責任能力がないとか。人間が「自分は幸福に生きている」という実感を得るには、自分は常にいまの人生を選択してきたのだという実感がなきゃならない。

ひたすらAIのレコメンドに従って生きていくと、おそらくある日突然、敷かれたレールの上を進んできただけの人生に気づいて虚しくなる。ハーメルンの笛吹きに導かれるネズミが最後は海に落ちて溺れるように、急に幸福を感じられなくなる。

日本の都市もそうですが、たとえばどこに住むかひとつとっても、不動産からのレコメンドが凄まじい。「君はここに住もう」「あなたの年収ならこうだよ」と。すると次第に「あれ、私って実はここにしか住めない?」と気付くようになる。この一帯、この賃貸価格より上は無理、というのが見えてくる。そのなかでなるべく自由に選ぼうとするわけです。

多分、AIによるそのレコメンド能力が高くなればなるほど、どこに住んでも同じになるでしょう。一定の価値しかなくて、だからもう、自分がどこに行っても均一な世界になる。これを深く実感したときに「なぜ生きているんだろう」と思うでしょうよね。これからは自分が選択する余地のない人生を生きなければならないわけですから。そこまでAIが高度になる前はなにか掘り出し物があったりとか、うっかり変なところに住んで後悔したりとか、変化があったからいいんですよ。

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発売元:フジテレビ/東宝 販売元:東宝
©サイコパス製作委員会

内山 人間には自由意志があるとお考えなんですね。愚行を犯すことですら幸福であると。

冲方 でも実は、幸福感を与えるための工夫というのもあるんですよ。たとえばゲームがそうです。ゲームなんて誰がやっても同じ結果になるのに、なぜあれほどみんな夢中になるかというと、さまざまなセリフで褒めたり貶したりするんですよ。「よくやった」「ありがとう」「なぜお前は使えないんだ」みたいな反応を返されているうちに、ゲームをプレイしている人は、自分がなにかを選択して成し遂げたような気にさせられる。それが人間を中毒にさせるんです。そういう中毒性の高いものを人がこれから求めちゃうんじゃないかな、というのはちょっと怖いですね。

オープンワールドってまさにそうなんですよ。みんな一直線の物語に飽きてきたので、さまざまなクエストを用意して、やってもやらなくてもいい状態を用意した。するとプレイヤーはとても自由で自分の意思でプレイしているような気にさせられるのですが、結局それも褒められるという「報酬」と、褒められないという「逆の報酬」、この二つによってあっちに行ったりこっちに行ったりさせられているだけなんです。ただ人間にとってそれがとても快感で、なぜかというと幸福感に直結するので無視できない、ということなんですよね。

倫理的な行動をさせるためにアニミズムが必要だった

齋藤 都市政策やまちづくりのなかでも、いままでどちらかというと「超最適解」「経済合理性」的なものが多かったのですが、最近ちょっと潮目が変わってきたかもしれないと感じます。以前はそれこそ、トランプタワーみたいな、すべて角部屋だったり、「CADの産物」と僕は呼んでいるのですが、まちなかに大きな建物が建つことが多かったんです。でもコロナ以後、流れが変わったような気がしていて。僕はデザインの会議の中でも人間中心設計をずっと謳ってきたのですが、「人間」だけなのもおかしいと思うようになりました。日本で建築の議論をするのであればアニミズム的な視点は避けて通れないですし。

いわゆる経済合理性だけでつくるというわけではなく、先ほど冲方さんがおっしゃったように人間にとっての選択肢がある状態を、たとえば物理的な空間のなかにどうつくっていくかが重要だなと思います。デジタルにおいては、インターフェースって要はどれだけアフォーダンスを忘れるか、どれだけ考えさせないでそこに辿り着けるか、ということを追求していくじゃないですか。レコメンドの発想もそうだし。だけど実際にはウォッシュされている可能性が相当高い。

僕は、物理空間においては「人間が土をいじる」とか「プランターで育てる」とかを大事にしているんです。最近だと二拠点生活のような感じで、地方で、自然がある場所にも身を置いています。なぜそうしているかと考えると、解像度が高すぎて解析できないものの集合体だからなんですよね。だから面白いのではないか、と。

冲方 なるほど。デジタル空間で人間が悪いことをしてしまう理由は、無機質だからなんです。たとえばメタバースでもすぐセクハラ問題になったりとか、プレイヤーをはめたりとか。アニミズムが日本において必要だったのは、倫理的な行動をさせるためだったんですよ。「隣の人に迷惑をかけない」「もったいない使い方をしない」「浪費をしない」「汚物を垂れ流さない」みたいな、和をいかにして保つかということ。

心理学の実験でも「この部屋にはこの問題を作った人の幽霊が出ます」とか言われるとカンニングする人が減るという結果があります。

齋藤 へえ……なるほど。

冲方 幽霊って何のためにいるかっていうと、日本においては「抜け駆けをしない」「盗まない」「奪わない」というような規律を守らせるためです。神をもっと身近にしたような存在なんですね。自分がなぜ倫理的な行動をするかといえば、「申し訳ない」とか「見られると恥ずかしい」とかが理由にある。いま、デジタル空間にはこれがないんです。アニミズムがまったくない。ただ、たとえばすごく愛着のあるアイテムがあったりすると、途端に行儀がよくなるんですよね。

齋藤 ああ、確かにそうですね。

冲方 お気に入りのキャラクターから言われたことを間に受けて、正義の人としてロールプレイする、というか。
「逆のオープンワールド」もありえるわけです。殺戮だろうが犯罪だろうがなんでもやってやれ、という世界もある。でもそれは「逆のアニミズム」に従っているだけなんですよね。お祭り騒ぎで憂さを晴らすときのハレのアニミズムと、ちゃんと汚れを避けましょう、日常的にみんな行儀よくしましょう、というときのケのアニミズムとは、まったく異なるんです。違う神様が降りてくるので。平安時代や江戸時代のルールでもそうなのですが、陰陽道的な複雑なルールが理解できない庶民のために妖怪というものがたくさん生まれてきた。

内山 なるほど、デジタル空間にはそれがない、と。

冲方 デジタル空間には幽霊がいないですから。自分のことを見ている客観的な存在として、たとえばサーバーの管理者が「お前のことをすべて見てるぞ」と言ったとして、それでも人が悪いことをしてしまうのは、サーバーの管理者と自分との間に人間的な結びつきがなにもないからです。アニミズムというのは結局、自然を擬人化することで、自然と自分が「知り合い」になることなんです。アニミズムがまったくないところは平気で開発が進みますし、山とか、すべて削ってしまいます。中国とかそうですよね。

すると、自分たちの生活環境を破壊することで利益を得ることに慣れてしまう。だから、アニミズムの復活はどの国でも重要だと思います。僕が日本に住みたい理由はアニミズムがまだちゃんと生活のなかで生きているからなんですよね。怪談話やホラーやオカルトがこれほど好きな国民というのは、ほかにいないのではないかと思っています。

恐怖心があるから安心感がある

ーー冲方さんの『骨灰』は、渋谷の地下を起点に、都市の歴史と家の歴史が紐解かれていく長編ホラー小説です。本作では、マクロな視点からの都市開発が、周縁化された人々をさらに苦しめる状況も描かれています。3D都市データPLATEAUがデジタルアーカイブとして都市の記憶になっていくとすれば、どんなことに気をつけるべきだと思われますか?

冲方 恐怖心って人間にとって幸福と同じぐらい大事な感情なんです。恐怖心があるから安心感があるんですね。安心感があるから恐怖心があるのではなく、恐怖心が先なんです。恐怖を喚起されたときに人間はなにを選択するかというと、動物的な反応としては、怒って戦う、泣いて逃げる、などがあります。ストレスを自分の体から追い出して、危険がないところへ向かうか、危険そのものに立ち向かっていくか。その本能を、いまの文明社会において、どう活用し、どう抑制するかっていうことを、人間は毎日選択しているわけです。

であればこそ、無条件にめちゃくちゃ怒っていい存在も欲しいし、無条件にめちゃめちゃ怖くて逃げ出したくなる存在とも遭遇したくなる。自分自身を思い出すために。自分はなにが怖いのか、自分はなにを見ると腹が立つのか、再点検しなければならない。なぜかというと、自分の年齢や環境が変化すると条件が変わって、自分の本能がどういうときに働くのか、本人にもわからなくなるから。もう一度それを思い出すことによって、自分自身というものを実感する必要がある。エンターテインメントにおいて、とりわけホラーはそういう、人にさまざまな耐性をつけたり自分自身を自覚させたりする作用が非常に強い作品だと思うんですよね。

『骨灰』 著者:冲方丁 KADOKAWA

内山 「PSYCHO-PASS サイコパス」のシビュラシステムがある世界では、人間は、怒ったり怯えたりすることを抑制されていますよね。あれもまた、選択に関する世界の話なんですね。

冲方 その通りです。選択肢がないと本能を発揮する必要がないので「身体だけ生きている状態」になっていく。

素朴な生活実感を与えてくれるなにかに目をむける

齋藤 冲方さんがお話しされているように、AIやデータ世界の中に、アニミズムなど、なにかしらの相対性を担保する、ということは重要だと思います。僕はウィリアム・ギブスンの大ファンなのですが、ギブスンが『あいどる』のなかで書いていたナノシティとか、ブレインプロジェクターのような話って、いま現実に起こりつつあると思うんです。でも、人々は本当にその道を選ぶのだろうか? という疑問もあるんです。僕は「デジタルツイン」という言葉はすごく面白いと思っていて、この言葉が指しているのは「現実」なんですよね。これ(PLATEAU)は現実の集合体で、それがデータ世界に存在している。

デジタルツインが現実の集合体であるということと、アニミズム的なものをデジタルに取り込む試みというのが、なにか呼び合うようなところがあるかもしれません。

冲方 アニミズム的な世界観や宗教観がデザインに反映されていないものほど、無機質に見えるんですよね。たとえば江戸時代は、大きな建物というのは仏教的な影響や神道的な影響を受けており、屋敷の門がまえなども立派なものをつくっていました。その家の文化や風土を表すものとして、存在していた。

いまはそれに比べて非常に多様に、機能的に、そして巨大にもなっています。人間はどこを見てなにを実感すればいいのかをもう一度、整理する必要があるのかもしれないですね。なにを見れば畏敬を感じるか。その空間は人生を見直すためのものなのか、ちょっと休むためだけのものなのか。昨今は都市におけるランドスケープという発想が強くなっており、「一番目立つからこれがランドスケープだ」となりがちですが、それが一体なんなのかは考えなければならない。

これから経済格差がどんどん広がっていくと、商業的な利益が優先され、人間が切り離されていくはずなんですよね。そうなると、エシカルなものを実感させるためのアニミズムも消えていくでしょう。その結果、「あれほど発展したのにいつの間にか荒廃してしまった、なぜだろう」という状態になると思うんです。もっと宗教的というか、信仰的というか、素朴な生活実感を与えてくれるなにかに目を向けてほしいなと思います。

最もついてはならない大きな嘘

内山 「PSYCHO-PASS サイコパス」の世界というのは、合理性が進みすぎた結果、AIや集合知のシステムがみんなの幸せを決めていくというディストピアですよね。他方で、いまお話しされていたように日本人には合理性では説明できない、アニミズム信仰というものがまだ存在していて、今後もなくならないのではないかという観点がある。とすると、「PSYCHO-PASS サイコパス」の世界というのは、我々に対する予言ではない、ということですか?

冲方 「PSYCHO-PASS サイコパス」の世界ですごく特徴的なところは、実はあれは日本以外が全部、紛争で無くなっている世界なんですね。なぜかというと、日本人は自分たちを制御するシビュラシステムを作ったから。その代わり日本は世界各国に紛争を輸出しており、自分たちだけ利益を得ていた。なぜ日本だけであれほど自給自足ができているのかといえば、東日本と西日本にいるほとんどの人間を餓死させて、自分たちだけが生き残った世界という設定なんです。

日本の人々が本当に将来そうした環境におかれるかどうかはわかりませんが、日本が鎖国するならば、ああいう形になると思います。日本という国は歴史的に、鎖国と開国をずっと繰り返しているんです。いまはちょうど波として鎖国の時期に入っています。日本人はどういうときに鎖国をするかというと、それまで信じていた大国が揉めて、いろいろなところで戦争をするようになるときです。「付き合いたくない」と鎖国してしまうんですよ。

過去にも、中国が戦乱を起こして兵士がたくさん来てしまったりすると、すべての門を閉ざして「入らないで」という状態になっている。オランダの人々がたくさん来たときもそうです。「外国人がいっぱい来ちゃいましたけど、どうしますか」と幕府にお伺いを立てると「関わりたくないからほっとけ」と返される。

だから、もし今後アメリカが、たとえば民主党と共和党がそれぞれ日本に対して「どちらの味方につくんだ」と強く迫ったりすると、日本人は多分、本能として……。

齋藤 シャッターを閉める。

冲方 国交を最小限にします、ということになるでしょうね。「貿易と外交はこことここだけで、アメリカからの影響をとにかく最小限にする」という防御の姿勢に入ってしまう可能性はあります。すると制裁を受けたりして、自給自足を目指す流れになる。どんどん人口が減って、外にも出ていけない。次第に、自分たちはこれでよかったんだろうかと言い始める人たちが出てくるようになる。そういう人たちをとにかく叩き潰して……。

「PSYCHO-PASS サイコパス」的な世界をもし日本が選択するとしたら、政府は、最もついてはならない大きな嘘をつくはずです。「あなたたちの幸福はこれです」と、押し付ける。
中国はそれをしていますよね。ロシアもそうです。専制君主国家になっていくと思うんです。どんな政治形態も、安全や経済的な保証、食料、エネルギー、ライフラインなどは提供できる。でも、個人の幸福を保証することはできないんです。人は「幸福ではない」ということは、いくらでも主張することができますから。本人の責任だから幸福を感じられるけれど、政府が幸福を規定し始めると、これはまさにディストピアですよね。

これは旧東ドイツの冗談なのですが、「本当の東ドイツ市民であれば、支給された服に体格が合うはずだ」という言葉があります。

内山 おお……。

冲方 もちろんこれは笑い話ですけれども、そういう社会に日本も何度もなってきた歴史があるので、またならないとも限らない。

内山 全体の価値や幸福を決めるのが、人間ではなく集合知だ、と。

冲方 日本人は集合知が大好きなんですよね。全体の意思、というものが。

内山 合議制というか、多くの人が関わって何となく醸成される空気の中で進めることを好みますよね。

冲方 そのなかで喧々囂々として、結局は権力に傾いていく、ということもあると思います。それにしても、本当にAIが発達し続けて「これが本物の集合知ですよ」と言われても、それが本物の集合知かどうかは、わからないんですよね。さまざまな意味で。

AIというのは、人間の行動を記録することによって、その人の生活パターンや、その人が本来欲するであろうものを推測するわけですが、決して「その人そのもの」ではない。なのにAIがその人の代わりに判断してくれると錯覚してしまう。すると、それが本当に自分の判断なのか、本当に自分はこういう生活をしたがっているのか、内省する機会を奪われてしまう。それは危険だよねという世界が「PSYCHO-PASS サイコパス」です。