土器川の最下流の街丸亀市は、古くは津野郷とよばれ平安朝の頃からひらけ、条里制の遺構や古代遺跡あるいは史跡などが多く存在します。土器川の名称の由来についても、この付近に土器を専門に製造する人々が住んでいたことから、この名前が生まれたとされています。また、土器川中流部左岸には、弘法大師が父を弔う伽藍を建立した善通寺、全国に広く信仰圏をもつ金刀比羅宮(ことひらぐう)があり、町はその門前町として発展してきました。河口から13km地点の祓川(はらいかわ)橋地点で金刀比羅宮の神事の時に人々がミソギをしたことに起因して、祓川橋より上流を祓川とも呼んでいます。
土器川流域は瀬戸内海気候に属し年間降水量は1,200mm程度と少なく、その降水量は梅雨期と台風期に集中します。土器川のみならず香川県のほとんどの河川は、山地部から瀬戸内海に向け南北を流れる流路の短い急勾配河川のため、扇状地として広がる中下流部は土砂の堆積が著しく、周辺の田畑や家屋より川が高い天井川となっています。そのため、平常時の水は極端に少なく、渇水被害が頻発する反面、ひとたび洪水となれば急流河川のため激流と化す二面性を持っています。