損害保険支払い作業の迅速化等
実施事業者 | 東京海上日動火災保険株式会社 |
---|---|
実施場所 | 佐賀県武雄市北方町 |
実施期間 | 2023年10月〜12月 |
3D都市モデルを活用し、水害・土砂災害による被害状況と想定被害額を算出するシステムを開発。損害査定と保険金支払いの迅速化を目指す。
実証実験の概要
損害保険の支払い実務では、水害や土砂災害発生時の被害状況を把握するため、家屋1件ごとの現地立会調査をおこなっている。近年の災害の広域化・激甚化も相まって、現地調査に時間がかかり、保険金支払いまでが長期化するケースが発生しており、被災者の生活再建を支援するためにも保険金支払いの迅速化が業界的な課題となっている。
今回の実証実験では、3D都市モデルを活用し、想定される災害規模に応じて事前に建物ごとの被害状況と被害額をシミュレーションするシステムを開発する。このシステムを用いることで、災害発生前に必要な人員や準備を整え、災害査定・保険金支払い業務を迅速化することを目指す。
実現したい価値・目指す世界
近年、自然災害の激甚化に伴い、水害や土砂災害における被害の広域化が進んでいる。被災者の生活再建において重要な役割を果たすのが損害保険金であり、迅速な支払いが求められている。他方、特に水害発生時には、家屋の被害状況を調査するための災害査定に現地立会調査が必要なことから、保険金支払いまでに多くの時間を要するケースが発生している。一方で、損害保険会社の調査リソースには限りがあるため、災害査定や保険金支払業務をどのように効率化していくかは業界全体としての課題となっている。
今回の実証実験では、3D都市モデルを活用し、災害による家屋単位の想定被害額を事前に把握可能なシステムを開発する。このため、3D都市モデル(建築物モデル)の有する高さ、階数、延べ床面積、構造種別等の属性情報と、シミュレーションにより算出した建物単位の浸水深、さらに損害保険会社が保有する建築物データと災害規模の組み合わせによる被害額データベースをロジック化したアルゴリズムを組み合わせることで、災害規模に応じた建築物単位の被害額を精緻に推計するシミュレータを開発する。
また、これらのシミュレータを動的に扱うため、損害保険会社の担当者や災害リスクを事前に分析する地方公共団体職員向けに、ウェブ上で利用可能な地図アプリケーションを開発する。このアプリケーションでは、選択した災害規模に応じて、予想される被害家屋の可視化や統計情報の取得、レポートの出力等を可能とすることで、災害の発生が予期さ
れる際に簡易かつ迅速に被害状況を予測することが可能となる。
本システムの活用により、現地立会調査を要する物件数や必要人員数を事前に見積もることで、損害保険会社の査定業務の効率化と保険金支払いの迅速化を実現することを目指す。
また、将来的には、立会調査を行わない保険金支払いや、地方公共団体と連携した事前防災への貢献等も進めていく。
検証や実証に用いた方法・データ・技術・機材
今回の実証実験では、3D都市モデルの建築物モデル(LOD1)を活用し、水害および土砂災害を想定した建物ごとの被害状況と被害額をシミュレーションするシステムを開発した。本システムは、①3D都市モデルを利用した災害シミュレーション(水害および土砂災害)及び②この結果と建物の属性情報(用途、構造、建築年等)を使用した被害額のシミュレーション、③これらの結果をダッシュボードとして可視化するシステムで構成される。
①の災害シミュレーションのうち、水害の被害状況のシミュレーションは、任意の座標値(経度・緯度)とその地点の浸水想定値(浸水深)をインプットすると、座標値の周辺の地形を加味して被害範囲とその範囲の浸水深を5mメッシュで算出する独自シミュレーションモデルを構築した。地形を解析して任意に設定された浸水深の範囲を算出する計算は応用地質株式会社が提供する独自のシミュレータを用い、本システムから座標値及び浸水深を送信し、計算結果(座標で定義される浸水範囲ポリゴン)を受け取るAPIを構築した。
API連携や、データを受け取った後の後続処理(被害額算出)などへのハンドリングは、ArcGIS Pro上に実装したpythonプログラムが処理を行う。また、一級河川を選択することで「計画規模降雨」「想定最大規模降雨」における想定浸水範囲と浸水深を算出する機能も加えた。こちらは国土数値情報サイトの洪水浸水想定区域データを活用して被害エリアを算出し、その中から任意で被害エリアを指定できる仕様とした。
土砂災害の被害状況のシミュレーションは、水害シミュレーションと同様に独自のシミュレータに、任意の座標値(経度・緯度)とその地点の想定値(土砂堆積深及び堆積角)をインプットすると、座標値の周辺の標高を加味して被害範囲とその範囲の堆積深を5mメッシュで算出するモデルを構築した。土砂災害シミュレータも同様にAPIにより外部サーバにてシミュレーションを行う実装とした。
建物の想定被害額の算出は、3D都市モデルの有する属性情報(用途、構造、建築年等)、水害と土砂災害の被害状況(被害範囲)のシミュレーション結果、想定する浸水深や堆積深をインプットとして、損害保険業務における支払実績を基に開発した損害額算出アルゴリズムを掛け合わせることで、想定被害額が算出される仕様とした。具体的には、新築費単価法というモデルを用いて損害額のベースとなる建物の評価額を計算する。新築費単価法は「延床面積×平米単価」をベースとして建物の評価額を算出する手法であり、建物の延床面積の推定に3D都市モデルの建物形状と高さを活用した。平米単価については、様々な保険商品に対応できるよう汎用性を確保するために単価を定めた設定ファイルから読み込めるようにした。また、損害額は評価額に損害率を乗じることで推定しており、損害率は過去の保険金支払の実績などを基に建物の用途や構造ごとに浸水深(水害)・堆積深(土砂災害)の値に応じた数値を設定している。
上記のシミュレーション結果を支払い業務の迅速化につなげるため、オンラインで閲覧可能なダッシュボードを開発した。被害状況を一画面で把握できるよう、被害状況をダッシュボード化し、被害が想定される地域全体の被害件数や被害額、被害別(一部損・半損・全損など)の被害件数などの項目を可視化している。また、個別の建物を特定する機能として、住所や不動産IDで建物を検索する機能も加えた。このダッシュボードはArcGIS Onlineを用いて構築し、Web上での閲覧を可能とした。
本システムの検証として、シミュレーション精度の検証および損害保険業務における有用性検証を行った。
検証で得られたデータ・結果・課題
本システムの精度検証として、佐賀県武雄市北方町を対象に、過去に発生した水害の被害状況のシミュレーションを行い、全体の被害件数や被害額等について、実際の被害状況との比較を行った。また、有用性検証として、損害保険の査定業務を担当する職員へヒアリングを行い、当該業務の効率化と保険金支払いの迅速化につながるかを検証した。上記に加えて、自治体での活用可能性の検証として、自治体職員を対象に、防災指針の策定などの業務において想定被害シミュレーションの活用可能性についてヒアリングを行った。
まず、本システムの精度検証として、佐賀県武雄市北方町を対象に、2019年8月に発生した九州北部豪雨災害の被害状況のシミュレーションを行い、その結果を保険金の支払実績と比較した。想定被害額の正確性としてエリア内の支払い実績の合計と建物ごとのシミュレーション結果の合計を比較、想定被害件数の正確性として支払い実績の件数とシミュレーション結果の件数を比較し、それぞれ一致度合いを確認した。その結果、想定被害額の正確性は71%、想定被害件数の正確性は51%と、保険金の支払実績とは一定の乖離があった。この乖離の原因は、査定業務に用いる建物の床面の基準と3D都市モデルを用いた際の建物の基準面の差異にあり、この差異を手動で補正することで、建物ごとの想定被害額の正確性は83%、想定被害件数の正確性は87%となり、本システムの査定アルゴリズムが一定の精度を実現できることが分かった。
次に、本システムの有用性検証として、査定業務を担当する職員4名へヒアリングを実施した。ヒアリングの結果、本システムでシミュレーションを行うことで、現状では経験的に行われている人員配置計画の作成を定量的なデータに基づき客観的に実施できる、現地での立合いを経ずに全損判定をすることで業務の迅速化につながる可能性があるなどの評価が得られた。その一方で、広範囲のシミュレーションを行った場合の計算速度がやや遅い、大規模災害での活用を見据えて、より広範囲でのシミュレーションが可能になると更に使い勝手が良くなるといったユーザビリティの観点での課題が明らかになった。
さらに、自治体での活用可能性について、いわき市と横須賀市の自治体職員へヒアリングを実施した。ヒアリングの結果、本システムによって、「計画規模降雨」、「想定最大規模降雨」における想定浸水範囲を再現し、選択したエリア内の想定被害額を可視化することで、特に建物被害が大きくなる可能性があるエリアを定量的に把握し、対策を講じるべきエリアの優先順位付けなどに活用できる可能性があるとの意見が得られた。
参加ユーザーからのコメント
【損害保険会社 査定業務担当職員】
・従来はエリア全体での件数想定を行っていたが、本シミュレーションでは被災地域における住宅の密集程度、契約有無の情報が視覚的に確認でき、これは従来の方法では得られないものである。これにより、立会の拠点(サテライトオフィス)をどこに設置するのが良いのかを検討する助けになる。
・本情報を活用することで、請求勧奨(被害を受けていないかを契約者に確認し、保険金の請求を勧めること)にも役立てることができる。
・シミュレーション範囲の指定が、大規模災害の場合にはより広い範囲を一度に指定できると更に良い。
・システムのシミュレーション結果により、「全損」判定となった建物については立会い不要とする場合には精度が重要になる。
・シミュレーション範囲を指定して、実行する際の時間にやや遅さを感じる。
【自治体職員】
・精緻に防災施策の効果を検討したい場合に、損害保険会社の使用するモデルをもとに定量化できるのであれば、根拠として有用なものと考えられる。
・被害が大きいエリアの特定などができると、対策の立案などもより具体的に検討できるかもしれない。
・災害発生後の状況を精緻にシミュレーションできれば、災害救助法の申請や、罹災証明の発行業務などに役立てられる可能性もある。
今後の展望
今回の実証実験では、3D都市モデルを活用した本シミュレーションにより、大規模災害発生時における損害保険会社の適正な人員配置や現地の立会い調査の省人化など、保険金支払いの迅速化などが実現する可能性を確認することができた。その一方で、対象とする災害規模によってはより広範囲を扱える必要があるなど、ユーザビリティの観点での改善が必要となることも明らかになった。
このため、今後は、より広範囲でのシミュレーションを実現するためのロジックの再構築とシミュレーション条件設定等のUI/UXの改善が目下の課題となる。さらには、人工衛星データなども活用したリアルタイムでの水災・土砂災害状況把握実現や、地震や火災など他の災害類型への対象拡大等を図ることで、多種多様な災害における迅速な保険金の支払いを通じた市民の暮らしの安心により大きく貢献できるものと考えられる。