水管理・国土保全

  

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地域と加古川

地域の中の加古川
播磨地域の交流の場、加古川
民部卿為家の歌合に詠んだ歌の中に「かこ河」の名前で加古川が登場しており、「旅人の 駒うちわたず むさし鎧 たたなそかへる かこの河なみ」このことから、鎌倉時代の中期には「かこがわ」の名前が定着し、古くより親しまれていたことがうかがえます。「加古川流域滝野歴史民俗資料館」では加古川の古い歴史や、加古川とともに生きてきた人々の生活、文化の歩みについて紹介されており、見る人に川の果たした役割と人々の生活との関わりを考えさせてくれます。






地域の中の加古川
闘竜灘
加古川でもっとも観光客が訪れる場所として、「闘竜灘」があります。「闘竜灘」は、東播磨の平野を貫流する加古川の多くの名勝のうち、最も圧巻といわれるものです。川床いっぱいに奇岩怪石が起伏し、ここにきて流れは一気に加速します。この激しい流れが、岩を乗り越えて走る様は巨竜の躍動にも似ており、古来より文人墨客が度々訪れ、多くの詩歌が詠まれました。この滝はもと「双龍灘」と呼ばれていましたが、幕末の詩人・梁川星厳(やながわせいがん)がここに遊び、「闘竜灘」と題する七言絶句を賦したことから、その漢詩にちなんでこの名が付けられました。滝のやや下流西岸の座の浜には、近世には高瀬舟を牛耳った滝野船座の建物や倉庫があり、今でもその面影を残しています。

また闘竜灘は“飛び鮎の名所”として鮎漁が盛んで、5月1日の解禁日には太公望を楽しませてくれます。特に鮎の習性を活かした「筧どり」は、当地独特の漁法として知られ、5月3日(旧4月8日)の「光明寺の花祭り」や「鮎まつり」とともに初夏の滝野の風物詩にもなっています。


闘竜灘


闘竜灘

地域の中の加古川
下流域では、地域防災の拠点となる「加古川河川防災ステーション」が設置されています。災害が発生した場合に住民の一時避難場所となるほか水防活動や復旧活動の拠点となり、平常時には災害が模擬体験できる施設として市民へ解放しています。災害模擬体験を通じ市民が交流できる場ともなっています。



防災センター




地域の中の加古川
憩いの場
市民の憩いの場としては、「加古川大堰」付近で大堰の水面を利用しレガッタやカヌーが楽しまれています。毎年多彩な大会が開催され、地域や職場、学校などで結成されたチームが熱戦を繰りひろげています。さらに河川敷では、阪神・淡路大震災の教訓として、復旧・救援車両の通行や緊急用物資の輸送ルート確保を目的とした緊急用河川敷道路を整備しており、平常時には、加古川マラソン大会に利用されるほか、市民がジョギングを楽しむ場として利用されています。


加古川大堰の水面の利用


緊急用河川敷を利用したマラソン大会





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