アジアハイウェイ路線とその現状
アフガニスタンは、アジアハイウェイ・プロジェクト発足時よりプロジェクトに参加し、1970年の最初のネットワーク設定作業において、AH1号線を含む5本のAH路線が設定された。しかし1979年のソ連侵攻以来、内戦状態が継続し、ESCAPは、1993年のネットワーク見直し作業においては、アフガニスタン国内のネットワークは現状維持として、アジアハイウェイ全体のネットワークを確定した。しかし、アフガニスタンはアジアハイウェイ・ネットワークに関して、国際幹線のAH1が通過し、また、内陸国である中央アジア諸国からインド洋へ抜けるためにはアフガニスタン経由の路線が不可欠である等、非常に重要な場所に位置する。従って、ESCAPは在インドのアフガニスタン政府出先機関を通じてアフガニスタン政府に中央アジア諸国での新規アジアハイウェイ・ネットワークの設定に伴う3本の新規路線の承認を求め、新路線の承認を得ることに成功した(どの政権から承認を得たかは不明)。 しかし、タリバーン政権の崩壊とそれに続く暫定政権の成立により、2002年3月にESCAPと公共事業省との間の連絡が復活し、ESCAP側は道路現況の把握、ならびに5月に開催された専門家会合でのAH路線の見直しにおいて、出席者であるアフガニスタン公共事業副大臣に意向を確認することができた。 表-1にアフガニスタンのアジアハイウェイ路線の概要を示すが、これらの路線に関しては、2002年5月に開催された専門家会合においてESCAPが見直しを行った路線である。 表-1 アフガニスタンのアジアハイウェイ路線
データ出典:Asian Highway Database 2005 これらアジアハイウェイ路線の現状は表-2に示すとおりである。但し、この表で舗装道路となっている区間の大半は、内戦中に維持管理が殆ど行われなかった影響で路面状態が劣悪化しており、路面状態が良好な区間は約900kmに限定されている。 表-2 アフガニスタンのアジアハイウェイ路線の現状
データ出典:Asian Highway Database 2005 日本の援助動向、日本との関係日本のアフガニスタンに対する援助の推移を表-3及び図-1に示すが、内戦状態が継続していたアフガニスタンに対しては、1994年、95年は援助が完全に停止したが、1999年からは草の根無償資金協力が実施され、これらの直接援助以外に、難民対策として、国連、パキスタンに資金が提供されていた。 タリバーン政権崩壊後の2001年12月に暫定政権が成立し、2002年1月に東京で開催されたアフガニスタン復興国際会議において、日本政府は2年間に5億ドルの援助を行うことを表明しており、2002年以降の援助額は急増することが予想される。 また、2002年9月、国連総会の場において、小泉総理、ブッシュ米大統領及びサウード・サウディアラビア外相が共同で、カブール・カンダハル・ヘラートを結ぶ幹線道路整備に関する声明を発出した。この大規模プロジェクトの第一歩として、日本は、10月29日に発表した支援パッケージにおいて、カンダハルからカブールに向けた幹線道路(AH1号線)約150kmの補修工事を実施することを決定し、現在設計の準備段階である。 表-3 アフガニスタンに対する日本の援助の推移
図-1 アフガニスタンに対する日本の援助の推移
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